1.最初の事務所
会社を登記すれば本社の場所も明記しなければならない。どこに本社を置いてもよいわけだがあまりころころ変わるとその都度、法務局に届を提出することになる。
登記というのは結構厳格な手続きであって、商号屋号のバッティングも考慮しなければならないし、手数料も登録免許税(これも税金?)として万円単位の費用が発生する。市町村への転入転出届などとは比べ物にならない。
というようなことは後で分かったことであって、実は最初から意識していたわけではない。まさに「とりあえず」という乗りで自宅書斎を本社として届けていた。
書斎が事務所であって、その広さはおよそ6畳である。個人で独立ほやほやの会社に事務所を外部に借りての家賃を払う余力など夢の夢。開発用と経理用にそれぞれデスクトップPC1台とエアコンが会社事務所の全設備であった。
2.初めて知った主婦業の1日
書斎に事務所を構えると終日自宅にいるようなものである。通勤時間がゼロでいいようなものだが、職住が接近し過ぎるのはよいことではなかった。
仕事柄アルゴリズムの検討やプログラム開発に集中したいのだが、これを遠慮なく外部要因がかき乱してくれる。午後になれば子供が小学校から帰ってくる。友達は連れて来るなといっても玄関先でピンポン(呼び鈴)とお誘いがかかる。
電話も頻繁にかかってくる。番号こそ自宅と会社を分けたが、ダイヤルインだったので結局机の電話も鳴る。カミさんのオカーチャンネットワークやら商品や塾の 勧誘やら、まったく人の時間を何とも思ってないような連中からかかってくる。仕事の電話なんて50本に1本もない。(仕事はメール中心だったから)。
「***ちゃんいますか?」の一言(なんと小学生が電話でアポをとる!)で、ようやく浮かびかかったアイデアが吹っ飛んだ。近所の付き合いや子供の付き合いもあって邪険にも扱えず困ったものであった。
それにしても(専業)主婦が家事と育児の他に、こんなお付き合いもこなしていたのかと思うとすごいものである。結婚以来10数年、初めて1日中自宅で過ごすことになったが、ぜんぜん知らない主婦業の1面を思い知らされた。
カミさんにしても、終日ダンナが家にいては、まして仕事中はぴりぴりカリカリしていただろうから、うっとうしかったに違いない。(亭主元気で留守がよい...だったんだろうな)。
3.さらば若林6畳オフィス
事務所移転の話は突然やって来た。会社設立でもお世話になったH信用金庫の方が、まめに事務所(自宅)まで足を運んでくれており、法人として曲がりなりにも小さな定期積み立てを始めた頃だった。
静岡県のインキュベート施設に空きが出るとの情報を提供いただいた。こんなとき地元金融機関の情報網は偉大である。直接お金にかかわらないことでもお付き合いの中でいろいろ応援してもらえる。
信用金庫の方針なのか担当者の好意なのか、いずれにせよ嬉しかった。
月数万円の家賃+水光熱費を払えるか不安(毎度のことだが、とにかく最初の1歩は不安から始まる)であったが乗りかかった舟、行くしかない。早速静岡県に入居申請を行い、競争率10倍強の中から審査合格を勝ち取った。
審 査は書類選考の他、2回のプレゼンテーションで行われた。審査員は、技術に関しては素人であってその内容を理解してもらうのは難しかったと思うが、大風呂 敷を広げてあること無いこと事業計画を熱く早口でまくし立てた私のペースに飲み込まれて、つい1票を入れてしまったのであろう。
こうして浜松都田インキュベートセンターに事務所を構えることとなった。広さは70平方メートル(40畳)。窓の外には雉が歩くほどの郊外にある。事務所の維持費を日割りしてみるとこんな金額になった。
家賃 900円/日 電灯 200円/日 エアコン 300円/日
水道 100円/日 電話 300円/日 ガス 30円/日 防犯 300円/日
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